槍ヶ岳から笠ヶ岳縦走
2012.08

5年ぶりのテント縦走、20年ぶりの上高地からの槍ヶ岳

はじめに
ホームページで山行記録(ていうかメシ記録)を発表し始めたころ、たしか2000年くらいだったと記憶しているが、雑誌「山と渓谷」にこのHPを紹介してもらった。その際に「今後、管理人も確実に体力が衰えていくだろうから、今後どうなるかにも期待云々」とのコメントが沿えてあった。

それから、12年の月日が流れた。
20代だった管理人はすっかり40過ぎた中年オヤジになり、体力も確実に衰えたが、山と渓谷社の編集者も予期しなかったであろう、管理人が登山よりも、戦車や美少女フィギュアを作ることに熱中し、展示会でドヤ顔しているヲタクになってしまったことに。

そんなヲタクでも、山への情熱をすべて失ったわけでは決してない。これだけ好天が続くと山に行きたくなるのだ。そして、テントを持って山に行こうと決めた。だが、テント泊での縦走経験は調べてみるとなんと5年前もである。以前にも増して運動もしていないし、現在の体力はゼロ。よって、エスケープがとりやすい北アを選び、槍ヶ岳から笠ヶ岳のコースを第一候補とした。元気なら雲の平方面に足を伸ばせるかなとのもくろみもあり、食料はは4泊5日予備食2日分という内容で検討した。水2リットルを入れるとザックの総重量は15キロとなった。いまの私にはこれでも辛いくらいと判断したので、快適グッズであるサンダルやコップ等は一切持参せず、徹底的に切り詰めた。腹が減ったら山小屋で昼飯を食べようとこのあたりは素直に妥協。なお、テントやシュラフ等の装備は1996年当時とほとんど変わっていない。

8月21日
高速バスのさわやか信州号を予約。三宮で受付をすると新大阪で乗り換えろと言われた。それは知らなかった。新大阪に着くとまだ和歌山からバスが来ていないという。暑い中30分ほど待った。これなら最初から新大阪で乗ったのに。時間とお金を無駄にした気分になった。乗客は少なく、2名シートを一人で使えたがあまり眠れなかった。毛布は貸してくれるのかと思っていたがそのようなものはなく、正直車内は寒かった。事前案内には書いてあったのかもしれないが、高速バスの利用は今回はじめてだったので、これは勉強になった。

8月22日
好天!朝6時半に上高地に着いた。上高地に来るのは16年ぶり。バスターミナルがすっかりきれいになっていた。着替えをし、靴紐を結んでいざ、出発。焼岳もきれいに見え、穂高の峰も見える。河童橋もまだ人は少なかった。ここで朝食用に買っておいたパンを食べた。ここから横尾までのコースは散策という名称にふさわしいコース。木々の間からのやさしい光がうれしかった。


明神岳を左に見ながら、散策。明神で休息。ついついコースタイムより早く着いたかどうかを確認する自分に気づく。20年前の癖だ。この体力ではコースタイムと同じか、1.5倍だろうと思ったが、バテを防止する意味でも今回は休息ごとにきちんと時間をメモを取ることにしてみた。徳沢ののんびりとした素敵なキャンプ場を通りぬけ、横尾に着くと前穂高の大きさにうれしくなった。が、しかし横尾の記憶がどうも16年前と違う。こんなに開けていたか?山荘は青かったような??どうやら立て直したようだ。ここまで来ると気温は上昇。いくら高所とはいえ、暑い・・・。


今日の予定は元気だったら、殺生のキャンプ場まで行こうかと思っていたが、横尾からの道のりでそれは到底無理だと気づいた。20年前にも出来なかったことが出来るはずがない(笑)。さっさと気持ちを切り替えて写真を撮りながらババ平を目指した。それにしても暑い。しだいに暑さにやられてきた。槍沢ロッジはまだかまだかと考えてしまう。これはバテかもしれない。とりあえず槍沢ロッジまで行き、そこで最終キャンプ場を決めようと考え、足を動かした。到着した槍沢ロッジも16年前の印象と異なっていた。こちらも建替えたような印象。休息しているとヘリが来るので砂塵が強烈だから小屋の中に退避するように言われた。小屋の中からヘリを見てると荷物を降ろしたらさっと引き上げた。あっという間だった。小屋の中で缶ビールを飲むオヤジたちを見て気持ちもすっかり萎えてしまい、ここで幕営申し込みをすることにした。


だが、槍沢ロッジからババ平のテントサイトまでは約40分ほど登らなければならないのだ。一度、気合が抜けると正直復活するのに時間がかかる。おまけにこの暑さ。すっかりヘロヘロになってしまった。ここから4時間もかけて殺生まで歩けるわけがない。選択は正しかった。(わかってはいたけど)ババ平の印象は16年前と同じだった。相変わらずやる気のないキャンプ指定地(笑)


槍沢ロッジで買った氷結を飲み、ここで昼飯にする。いままではレーション(お菓子)だけだったが、今日は腹も減ったし、予備食もあるのでたべてしまおうと、焼そばを作って食べた。山で食べるとやはり美味しい。しばらくテントでうとうとしていると、団体がやってきた。高崎高校山岳部と書いてある。大団体であっという間に狭いババ平のテント場は埋まってしまった。夜は騒ぐと思いきや指導が徹底されているようで静かだった。ただ、起床は2時、出発は4時だったようで、おかげでわたしも同じ時間に目が覚めてしまった。

夜はマカロニカレースープ(サラミ入り)。今回はアルファ米を使わず、米も炊かず、マカロニ等で代用してみようと試みたが、食べている途中で飽きた。若いころ愛用していたにんにくチューブからにんにくを入れてみたが、それでも飽きた。約20年の経過は確実に味覚も好みも変わっていることを実感した。(なにをいまさらだが)明日は双六にキャンプ場をめざすこととし、ヘロヘロなら槍ヶ岳のキャンプ場で幕営することにし、7時ごろシュラフにもぐり、就寝。
 


 →その2へ続く
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