英彦山
2007.01.03
元旦に福智山に登った勢いで、初詣のはずが登山に(爆)

 1月2日
元旦早々から福智山に登頂し、満足に浸った腹ペコ隊。そういえば大きな神社で初詣していないねということで、宗像大社、大宰府天満宮が候補に上がったが、宗像は以前行ったし、大宰府も混むだろうということで、英彦山神宮に行くことになった。英彦山神宮といえば思いつくのは名峰英彦山。しかし、お宮から頂上まではちょっとキツイと聞き、登山は諦めることにした。1月2日は北九州のいのちのたび博物館で恐竜の骨格や兵馬俑の展示を見て歴史ロマンに思いを馳せる1日を過した。

1月3日
登山はしないということで、朝ゆっくりと出発。ひなびた駐車場に車を停め、車道をてくてくと歩いていく。途中ポン菓子売りをひさしぶりに見た。笛の合図と共にボーンと白い煙を噴かしてポン菓子が出来ていく。露天のおじさんの試食OKについついつまみ食い(^^)マカロニを使ったポン菓子までありました。
参道へ向かいます 久しぶりに見たポン菓子製造機 試食していいよ〜(^^)
上り口はこんなかんじ

やや俗世っぽい上り口からは石畳の参道が始まる。とはいうものの元旦の鳥野神社と違い、右手を見ればしっかりとロープウェイが。(笑)周囲には宿坊の跡。すっかり廃れて石垣だけになり、そこに宿坊があったことは看板が無ければ分からない。ゆっくりと看板の解説を読みながら歩いていく。幕末には左幕派だった小倉藩は尊王攘夷派の山伏たちを抑えるために藩兵でこの神社を包囲したそうだ。
英彦山の御祭神は天照大神の御子、天忍穂耳命。昔は「日の子の山」=「日子山」と呼ばれていたとのこと。明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年6月24日に、天皇陛下の裁可を経て、戦後、三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になったとか。そういえば明治神宮、熱田神宮っていうけど、神宮ってよくわかってないなあ・・・。修験道は神道と仏道が融合したものと看板にも書いてあったので調べてみると山を神として敬う山岳信仰、仏教、道教、陰陽道が習合(ようは合体?)して確立した日本独特の宗教だそうだ。
奉幣殿

いまやすっかりくたびれ果て朽ち果てた宿坊とは対象的に右手に掛かっているロープウェイはおよそ神社仏閣にはふさわしくない外観。おまけ程度に石段を登るようになっているが、石段を登るという過程で無心になり、そして神や仏の前に自らの身をさらすという行為に至る過程を考えるとはて、いかがなものかと思う。

御参りをし、お汁粉と甘酒を飲んでさあ、帰ろうかと思っていると義母がニコニコしながら「行く〜?」と聞いてくる。この行く?とは「山の上に行く(頂上まで登る?)」という意味だ。そら来た。予想していたのでいちおう登山用のトレッキングシューズだけ履いておいたのだ。どうもいいだしっぺは甥っ子らしい。元旦に自分より5歳も下の新管理人が福智山に登頂し、それを散々自慢されたが悔しかったらしくそれを義母がうまいこと「炊きつけた」らしい。(笑)一瞬考えたが、英彦山だけのためにわざわざ神戸から来ることはないので、それなら登るかと!登ることにした。

上り始めは泥の道。しかも一昨日とは違い新管理人はすっかりやる気レス。おんぶしてしばらく歩くがさすがに18キロの体重を歩荷するのは堪える。新管理人とナウシカ嬢、と義姉は途中の休憩所で引き返すことにし、甥と私と義父義母と登山続行。ここで甥が意地を見せどんどん登っていく。あっという間に視界から消え去った。なーに、そのうちへばるからそのときに追い抜いてやるぜと余裕で歩いていたが、いっこうに追いつかない。さすがサッカー部だけあるかも(汗)

尾根に上がると台風の影響で倒れた巨木がまだそのままどーんと残っている。風も冷たくなってきた。さむー!!!ちゃんと登山服でこればよかったとちょっと後悔。
台風で倒れた杉の木 台風で倒れた杉の切り株

中宮を経て中岳と呼ばれる上宮を目指して進む。下ってきた登山者にいきなり「あなたは親孝行です。さっきまでガスがかかっていたのに晴れてきました。展望を楽しめますよ」と言われた。他人にいきなり「親孝行」と言われたのははじめてだったが、なにはともあれ展望があるのは楽しいことだ。歩く気持ちもすこし楽になる。とうとう甥には追いつけずに上宮へ。甥からは「遅いよ、もぅ〜」と嫌味をいわれてしまう。こんなことなら一度背中が見えたときに走っておいついておけばよかったなと年甲斐も無く対抗心を燃やしてしまった自分にプチ後悔(笑)


上宮からすこし下ったところに休息所があるのでそこで昼食(にぎってもらったおにぎりと紅茶)。稜線上ゆえかとても寒い。元旦に福智山頂で見たカレーヌードルをまた思い出してしまった。カップラーメンは山では食べないことを信条としてきたがそろそろこれもあやしくなりそうだ。

頂上で記念撮影をしているとナウシカ嬢から電話。先に下りたので温泉に行くとのこと。ううう、こっちも寒い。さっさと下山しよう。甥はまた走るように視界から消えていった。後で聞くと行きも帰りも一番でいきたかったそうだ。中宮を過ぎて尾根を下るあたりから再び泥の道がはじまる。慎重に足をはこびながら下山。ズボンは普通のズボンなのでもちろん裾は泥だらけ(汗)太ももが張ってきたかなと思ったころに下宮が見えて奉幣殿に到着。うーん、まさか登山するとは本気では思っていなかったが、2007年早々に2つも山に登ってしまった。それも神と縁の深い山だけに今年はきっといいことあるかなと勝手にムフフとにやついてしまった。


混雑するしゃくなげ荘でこの日の疲れを流したあと、遠賀川沿いに車を走らせる。往時も気になったのが左手に見える三つの奇怪な山だ。ひとつは完全に平らに切り取られている。ナウシカ嬢とお姉さまに聞くと「ボタ山じゃないの〜」とのこと。にしてはでかすぎる。ボタ山といえば炭鉱。あの山はどのあたりか?と聞くと「田川」と答えが返ってきた。ありゃ、田川と言えば五木寛之の小説「青春の門(筑豊編)」の舞台じゃなかったかなあと気になって帰宅後に調べたらやっぱり青春の門に出てきた香春岳だった。
香春岳(三、二の岳)

夕食後、リビングでまったりしているとナウシカ嬢が「今日の22時の船便に空きがあるみたい!」といきなり声をあげた。阪九フェリーの予約サイトで見ると2等指定が空いているようなのだ。年末は3日の便は満席だったので、仕方なく5日の朝神戸につく便を予約し、帰宅後その足で会社に向かうつもりだった。しかしこれはけっこうキツイのでキャンセルが出れば便を早めようと約束していたのだが、言い出しっぺの僕がそのことをすっかり忘れて登山の余韻に、いや疲労かも?に浸っていたのであった。さっそく電話すると予約可能とのこと。9時に家を出れば間に合うとのことで、大慌てで荷物をまとめて夜の高速を走らせる。慣れない土地での夜の運転はほんまに疲れる・・・。

出航時間が近いということもあって、普段はドライバーのみだが、今回は家族も一緒に車に乗り込んで船に乗り込む。船の名前をみたらなんと「やまと」(爆)乗船時に男たちの大和のサントラ盤のCDを入れたらナウシカ嬢から「ちょっとぉ〜、もうなにやってんのよ〜!」と突っ込まれた(汗)

”やまと”は平成15年就航と、まだ新しく2等の指定も以前のロッカーを改造したような狭い箱ではなく、綺麗な部屋で驚いた。これなら一等よりもええんとちゃう?

やまとの2等指定 1月4日のまぶしい太陽 綺麗な食堂での朝食

1月4日
朝7時半に起床。隣の新管理人の声で目が覚めた。顔を洗って食堂に行くとガラガラ。朝は食べない人が多いのかなあと思いながらゆっくり朝食をセレクト。禁煙室も我々三人だけ。新管理人も「どうして3人だけなの」と不思議がっていたが、食事が終わりかけになると家族連れでいっぱいになった。どうやら単純に我が家が早起きしていたのが原因とわかった。ゆったりと綺麗なレストランで朝食を食べることが出来、「なんか得したね」と3文以上の得をした気がした。

”やまと”でございます 後甲板の広いデッキ

いつも利用する便は瀬戸大橋を通過するころは真っ暗なため、このような景色を楽しむことは出来ないが今日は神戸到着が10時半のため、デッキでの展望を楽しむ。垂水の町も須磨から連なる六甲の山々を綺麗に見渡せた。この景色がたのしめただけでももう小旅行の気分。


瀬戸大橋を仰ぎ見る(1) 瀬戸大橋を仰ぎ見る(2)

船上からの景色を楽しみ、予定どおり10時半に神戸に到着。帰宅後、靴の泥払いと片付けをした。洗濯機が年末に壊れてしまったので洗濯が出来ないのが辛いとナウシカ嬢。土曜日に修理にきてもらう予定である。2007年は山を二つ登り、船も早い便で帰宅することが出来、小さな満足を沢山重ねることが出来た。さて、明日から仕事始め。どんな1年になるのかな。
     

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