尾道、宮島、呉の旅 
2005.04.2930
戦艦大和萌えツアー

GWの前半は歴史の勉強の旅に行ってまいりました(^^)

     

朝 飯
昼 飯
晩 飯
4月29日 自宅で春雨の残り
イタリアンサンド
尾道朱華園にて
チャーシュ麺と餃子
みっちゃんにて
特製、スペシャル、ホタテ焼き、生ビール
4月30日 宇品港にて
海軍カレーパンとハッシュドポテト、クロワッサン、コーヒー
パンジャブカレー
(呉港スナック喫茶左近)
新幹線内にて
あなご弁当
参加者:腹ペコ、メタル福山、Benzケビン
    

【たび日記】

4月のある日。『尾道に実物大の大和のセットを造っているらしいですよ。』と、職場の同僚でもあるメタル福山に言われてGooleで検索してみる。呉にも大和ミュージアムが出来るようだ。こっ、これはいかねばなるまい。あっという間に計画が出来上がり、『大和萌えツアー』の旅のしおりが完成。2人では寂しいので、仕事を通じて知り合ったBenzケビン氏にお誘いを入れると初日の尾道コースのみ参加の連絡が。車も出してくれるとのことで、あとは天気を祈るばかり。

4月29日


GW初日ということで、朝の6時にJR茨木駅に集合することにした。先週のJRの大事故のあとでJRに乗るはどきどきだったが、なんとか無事に到着。しかし朝4時に起きたのはひさしぶり。まるで山行のようだ。駅でメタル福山と合流し、歩道橋をわたって下の降りる。下にメルセデスが停車していた。まさか、この車じゃねーよな、と思ったら本人が横から「どーも」と登場。げげ!メルセデスに乗せてもらうのは、診断士のS先生の車以来2回目だ。うーん、リッチ。しかし車の中の会話は最初からマニアの話しで盛り上がる。お互い職場でこんな話しできないもんなあ〜と何度もうなづく。

目指す最初の目的地は辺見じゅん原作の角川映画の「男たちの大和」の撮影地である日立造船の向島西造船所だ。ナビでは大体の見当しかつけることが出来ないので,かなり細い道をぐるぐる回る。だいぶ近づいたなあと思っていると、運転しているケビン氏から「腹ペコさん、索敵してください」と言われる。(笑)すると、なにやら遠くのほうに副砲らしい影が。

隊長!副砲が見えました!」

車内騒然(爆)。


たしかに大和の一部が見える。しかしここからはよく見えないので、向島工場の守衛さんのところに聞きに行く。ねばりにねばって地図まで書いてもらい、裏門までのルートを教えてもらった。こりゃ教えてもらわないと絶対わからんわ。なんせどこにも標識ないし。なんどか道を間違えてようやくたどりつく。裏門から左に入ったところに駐車し、そこから民家の横をすりぬけるようにして上に上っていく。

さあ、大和を探しにいくぞ! ほんまにこの道でいいのかな? ぐんぐん上がっていくと・・・
どどーん!!!大和発見〜!!!!吉村昭の「戦艦武蔵 」を読むと巨大戦艦建造に当たって米国をはじめとする欧米諸国に建造の情報をもらさないために、隠蔽用のシュロを買い占めたり、46センチ砲を40センチ砲と表現したりと並々ならぬ苦労を知ることが出来るが、今回はスパイからは丸見え(^^)でございます。どっかの国の工作員が勘違いするかも?
艦首と菊の御紋章も確認!しかしかなりこちらは手抜きの感じが否めない。 2番砲塔はかなりでかい汚れも施してあり、なかなかいい感じ。それにしてもでかい・・・ カメラ用のクレーンはそのままになっているが、今日は撮影はお休みの様子
先ほどの撮影場所から山の中へ突撃し、探索すること10分。新たな丸秘スポットを発見!一番砲は砲身なしです。
副砲も忠実に再現されている。わぉ〜。艦橋が出来ていないのは残念だ。尾道に撮影後も残すという話しが出来ているのなら艦橋をぜひ造ってもらいたい。こういうものにお金をポンとだしてくれるホリエモンみたいな奴でてこないかな〜。

甲板の色がかなり茶色なんだけど、リノリウム板はもうすこし明るい色だったと記憶してるがどうなんだろ。
男たちの大和は機銃員たちの話しが中心になるようなので、ブルーのシートで覆われているあたりが戦闘シーンで出てくるのかな。

「天と地と」のように最後は滝から水がどど-っと流れて終わりという抽象的な終わり方だけはして欲しくないんだけど、やや不安は残る・・・角川さん頼みますよ。宣伝用クリップを見たら桜が待っていたので・・・。

なお、男たちの大和の公式サイトでは製作やインタビューの様子が映像で見ることができます。
丸秘スポットから撮影する二人 こんな斜面を下る。泥だらけ。 細い道を下っていきます。

大和を十分堪能したので、今度は尾道市街に突入し、本日の二つ目の目的である尾道ラーメン「朱華園」を目指す。パーキングに車を停めて歩くとすでに行列。すごい行列だ。30分ほど待たされた。席はあいにく3人席がないため別れて座る。餃子とチャーシュウメンを注文。餃子は普通かな?出汁は魚系+鶏がら系だけど、豚の背脂をつかうことで、こってり感もあり、思わぬ山登りをした僕らには大変おいしく感じた。尾道ラーメンの人気NO.1らしい。この尾道ラーメンという名称はもともとは福山のおみやげメーカーがブランド名として名づけたものだとか。

11時過ぎなのにすでに行列!よく見ると朱華園とかいてある看板の横にはラーメン鉢が載っているのだ。 待ってました!チャーシュー麺。見た目は典型的な中華そばというかんじ。ごてごてしていなくていいね。臭いは魚系なのに味は意外とこってり。 餃子も頼みました。こちらはわりと普通のお味かな。
おお!イカすポスターを発見!ついつい記念撮影をしてしまうオタクたち。いや、マニア達。 千光寺ロープウェイからの眺め。楠の新緑がまぶしい。心地よい風が拭き、清清しい。 上に着くとまずは日立造船所をチェック。後ろから見ると一体なにがあるのか分からないな、こりゃ。
千光寺から尾道水道と尾道の町を眺める。転校生や時をかける少女はここで撮影されたんだなあ〜。今度は映画のロケ巡りと寺巡りをしてみよう。坂道が多い町ってなんだか好きです。驚音楼の鐘は「突いてはいけません」との張り紙が。残念。この驚音楼の鐘の音は、平成8年(1996年)「残したい『日本の音風景100選』」に選定されています。志賀直哉や林芙美子の古い写真も境内にはあり、今度放浪記 でも読んでみようかなという気になりました。お寺の写真はいい写真撮れなかったのでカット。(笑)
下山は徒歩で文学の小道をたどる。。途中で見つけたフクロウの喫茶店でまったり。清見オレンジ(700円)を頂く。民家を改造したなかなか味のあるお店。あとで撮影禁止と知りました。マスターごめんなさい。
尾道はネコがたくさん居ると聞いていたけど、いたるところに犬のウンコに注意書きが。はて。
尾道の街は失われた日本の、生活感のあふれる、人の息遣いが聞こえてくるようなそんな街でした。
下りから千光寺を眺める。このあと天寧寺にも足を運びました。貞治6年(1367年)足利義詮が建立。国重文の塔婆(海雲塔)があり、本堂左手の羅漢堂には五百羅漢の群像が並んでます。 尾道駅はお祭りの準備中でした。対岸から見るとこんな感じで見えます。こちらから見ると「男たちの大和」とはっきりと書いてあるのが見えます。ただ、撮影は左側を中心にしているので、駅からは副砲くらいしか見えません。

尾道からはJRで宮島口に向かいます。もう広島を満喫しちゃいます。今度は厳島神社です。宮島口からフェリーで20分ほどで到着。ちょうど干潮でしたが、普段写真では見ることができない姿を見ることが出来ました。今度は満潮の時に行って見たいなあ。ここのおみやげはしゃもじ。買おうとおもっていたけど、すっかり忘れてしまった。またいくぞ〜。

今の鳥居は平安時代から8代目で、明治7年10月17日に建立にかかり、明治8年7月に完成したもの。主柱の用材は九州宮崎県と四国香川県から選び、総高53.3尺(約16m)、主柱の高さ44.5尺(約13.4m)、主柱のまわり33尺(9.9m)、棟の長さ77.8尺(23.3m)、本社の拝殿より108間、火焼前より88間の海面に、自然の重みで立っています。
台風の被害は相当なものだったらしく境内にはその被害の様子の写真が掲示されていた。まだ修理中のようだ。屋根の中からはトタンが見え隠れしてやや痛々しかったです。浄財足りないのかな。
楠の自然木。近づいてみると木目がはっきりわかる。コンクリートで固めていないところが凄い。

宮島口に戻り、お目当てのうえののあなご弁当うえのに行くがなんと夕方で売り切れ。ががーん!またくるぞー。

どうやら駅弁があるらしいのでそっちに最後の望みを託すことにしよう。(しかし・・・)
宮島口から広電でゆっくり揺られて広島市内へ。時間もあるので原爆ドームも見学。向かいの市民球場では巨人対広島。翌日の新聞で清原500本の記録達成を知る。原爆ドーム横には被爆前の町の地図があり、そこには○○洋服店や住んでいた人の名前が書いてある。これが一瞬にして消滅したのだから、おぞましい。非戦闘員をもっともらしい理由をつけて殺戮した米国の行為は決して許されるものではないのだあ〜。おっと暴走してしもた。 慰霊碑に手を合わせる。原爆の死者達の冥福を祈ると共に戦争という手段のみを反対するのではなく、外交で解決しない最後の手段として、あの当時の状況では止むを得なかった状況を学び理解することが本当の意味での平和学習のはずだと思いますが。戦後60年ということもあり、戦後の押し付けの歴史史観から日本人の立場になった歴史史観を今一度見直すべきと思いますね。あ、これも脱線ですね。すみません。


デラックスのそば卵入り(肉・玉子・イカ・エビ・イカ天がダブル・そば)

特製スペシャルうどん入(肉・イカ・エビ・イカ天・もち・うどん)
原爆ドームを見てすこし気持ちがブルーというか、いろいろと考えさせられたが、さて、気分を変えて晩飯(^^)。広島出身のメタル福山に案内してもらい、みっちゃんというお好み焼き屋に連れて行ってもらいました。目の前で鉄板で焼いてくれるお店です。キャベツを豪快につかった広島焼きは見てるのも楽しいですね。広島焼きは大阪や神戸で食べるお好み焼きよりも粉っぽくなく、どちらかというとおかずの「野菜炒めの変形版」に近いような気がする。もともと昭和初期に一銭洋食としてはじまったものが現在の広島焼きのベースになっているらしい。お店の中にカープソースというソースが置いてあったので、あれはなに?とメタル福山氏に聞くと広島ではおたふくと並んで有名なソースだとか。全然知りませんでした。

デラックスそば玉子入り(肉・玉子・イカ・エビ・イカ天がダブル・そば)と特製スペシャルうどん入(肉・イカ・エビ・イカ天・もち・うどん)と生ビールを注文。

宿は楽天で予約したホテル28広島。値段は3000円代だったので、心配だったが、まあ寝るだけなら十分のお部屋。風呂は大浴場と書いてあったが、実際は小さかった。値段が安いからか、外人もたくさん宿泊しており、外人もどんどん入ってくる。さすがにわが日本海軍も欧米列強の巨砲には叶わない。ちょっと凹んだ。(笑)テレビでニュースを見たあと、爆睡。いやー、それにしてもよく歩いたなあ〜。



4月30日

昨日よく歩いたこともあって快眠。目覚めもよい。朝7時30分にホテルロビーに集合。そのまま宇品港にちんちん電車で移動。宇品港は最近綺麗になった様子だが、やや綺麗過ぎるというかんじで港らしくないのが残念。食事できるところも少なく、朝飯はパン屋さんでとることに。お約束で海軍カレーパンというのがあったのでついつい手にとってしまった(笑)海軍とカレーの関係を知りたい方はコチラ

ここから江田島の小用(こよう)までフェリーで行く。帰りは呉にいくので片道切符を購入。桟橋にはオタクと思える三人組も発見。きっと彼らとコース一緒なんだろなあ〜(事実まったく同じ行程だった)。高速艇は快調に速度を上げて無事江田島に上陸。さあ、いよいよ兵学校見学のはじまり〜。

#現在の名称は海軍兵学校ではありませんが、現地ではもちろん旧名で通じます。(^^)
宇品港でパン。やっぱり海軍カレーパンを食べてしまう(笑)普通のカレーパンでした。 市町村合併で江田島市になったようだけどなんか雰囲気ちがうなあ。ここからバスで海軍兵学校に向かう。(現在は術科学校)海軍兵学校は陸軍でいうところの士官学校に相当し、敗戦までの間海軍の士官たちを育て上げた場所。英国のダートマス、米国のアナポリスと日本の三大兵学校として当時は名高かった。 坂道をバスで登ること10分くらいで兵学校の手前に到着。ちょうど10時前だったので門まで走る。ここは見学時間が決められているのだ。走っていくと門番が「かけっこ」のかっこうをしてくれたので、スピードを上げてなんとか10時の部に間にあう。それにしても凄い人だ。50人くらいいるようだ。E教官の解説で案内が始まる。
大講堂。入学式卒業式はここで行なわれる。音の響きやすい構造になっているとのこと。たしかに声はよく通った。 イギリスから軍艦で運んできた赤レンガ。一個一個を油紙に包んで運んできたとのこと。表面はすべすべでとても明治のものとは思えない。E教官は「賞味期限が過ぎた女性の方は是非触って若さを取り戻してください」とセクハラ(?)トークで大ウケしていた。 こちらが幹部候補生の学生庁舎。二階は昔は部屋だったそうだが、戦後は教室に変えられたとのこと。整理整頓が出来ていないと容赦なく二階から荷物を下に投げられたとか。
こちらが桟橋。遠洋航海に出るときもここで見送りをするらしい。水泳訓練もここで行なう。朝から晩まで泳ぎっぱなしの訓練もあるらしい。食事はカンパンなどを泳ぎながら食べるとか。うひゃー。 駆逐艦「」の1番砲として搭載されていた40口径89式12.7センチ高角砲。いまは海に向かって砲口を向けていますが、もちろん動きません。 海軍兵の心身を鍛えるのにはカッター(短艇)での訓練が一番いいとか。尻や腕の皮がべろんとむけるそうです。しんどそう〜。
この庭の真ん中あたりに「同期の桜」で歌われた桜があります。E教官に教えてもらいました。 ギリシアの宮殿のような教育参考館です。幕末から終戦までの遺品などが展示されてます。E教官に説明をしてもらいながら見ましたがもっとゆっくり見たかったなあ。

見学が終わるとみんな売店に突撃(笑)
自衛隊オリジナルの土産「炎の大作戦」とパンの缶詰、行きたがっていた上司に日本海海戦100年記念のタオルを買って帰りました。嫁さんは毎度のことながら呆れてます。妻よ、すまん。

江田島の小用からフェリーに乗って呉に向かう。フェリーの到着場所はなんと4月23日にオープンしたばかりの大和ミュージアムの目の前。連休中ということもあり、ガラス張りの建物の中に人がたくさんいるのが見える。 さすがに大和ミュージアムが横にあるくらいだから船着き場にもでっかい食堂があるんだろうと思っていたら無い!!おいおい。上に上がってみたらなんかのツアーの貸切。こまったなあ。仕方なくスナック喫茶に入る。ここは母親と娘がやっている小さい喫茶店。カレーを二人分頼むが頼んで随分たってから「ごはんが一人分しかありません」といわれてしまう。ってまだ1時半なんだけど。 メタル福山は「じゃあラーメンでいいよ」と快く(?)メニューを変更したが、味のほうは「・・・」カレーのほうもなんだか本格的な名前のわりには「・・・」

うーん、せっかく大和ミュージアムの横にあるんだからさ、海軍カレーとか、46センチ定食とか、大和ランチとか考えたらどうよ?呉の役人さん、このページみてるかな。

昨日のあなご弁当といい、昼飯は二日連続で「外れ」だったが、大和は「外れ」でないことを祈りつつ、大和ミュージアムに入場!

どどーん!圧倒的なスケールで迫る大和の模型です。でかっ!(第一声) 艦橋を後ろから撮影してみました。うう、凄い。凄すぎるぞ。こりゃ。よく作ったなあ〜。
機銃も細部まで作られている。見る限り手抜きなしの様子。水兵が居ればよりリアルなのですが残念。 後ろ側から見る大和。きちんと短艇も収納されていました。
探照灯も高角砲も細部まで作られてます。ストッパーまで再現してあるのには驚きました。 煙突ってこんなふうになっていたんですね。模型みて初めて知りました。
いやあ・・・このスケール。こりゃもう説明不要ですね・・・。
どこの会社が請け負ったんだろーと思って調べると地元の山本造船という会社でした。きちんと進水式までしてました。なお、このプロジェクトも本になってます。
  戦艦大和復元プロジェクト
上から大和を眺める。写真に写ってるマニア三人衆は江田島からずっとコースが一緒だった(笑)

お尻からみた大和。人の大きさからそのでかさがわかるでしょうか。写真の右側には大和の装備や機能をCGで解説したブースがあります。ここで流しているCGが実に出来が良くて格好いい!販売されたら買いますね。

書籍も売店で販売してましたが、私が実際に書店で手にとって中身を見てお勧めできるのはコレ↓
日本海軍艦艇写真集・別巻 戦艦大和・武蔵

大和というとその悲劇や武装などのハード面ばかりが強調されますが、戦後の日本の造船界の牽引力となった技術がたくさん使われています。大和の造船を担当した西島技術大佐と大和の造船にかかる技術について書かれた本がコチラです。日本の生産技術の源流はこんなところにあったのかときっと驚くと思います。大和見る前には是非読むことをお勧めしたいですね。上下あります。
戦艦大和誕生〈上〉西島技術大佐の未公開記録
上の階には「未来へ」と題して松本零ニ氏のコーナーがありました。アナライザーが迎えてくれます。佐渡先生は居ませんでした。 大和ミュージアム前の広場。実はここは大和の艦橋から艦首までの長さと同じなのです。よーくこんな公園作ることが出来たなあ。 広島駅であなごめしを購入。おめあてのうえのの弁当はなかった。また来いってことだな。(笑)嫁さんと子供のために2つ購入しました。

新幹線の中で、さっそく食べました。たれが付いてるけど、無くても十分うまい。穴子の骨のぱりぱりお菓子が付いています。こちらも美味。

江田島で悪ふざけにのってしまい購入した「炎の大作戦」石川の有限会社が作っています。激辛弾搭載ということで、ちょっと右の画像では見にくいですが、ロシアンルーレットと表紙に書いてます。どんな土産やねん。試食レポートは後ほど。(笑)

と、いうことで、大和ではじまり、大和で終わった今回のオタク系「萌え」ツアーでございました。山とはまったく関係ありませんでしたが、「やまと」は関係ありました。(うっ、やや苦しい)これは管理人の趣味のひとつですので、ご了承ください。

大和ミュージアムのおかげ(?)でこれまで広島といえば、原爆、はだしのゲンそして仁義無き戦い、と怖いイメージが先行しており、なんとなく行きにくかったのですが、今回は広島出身のメタル福山氏に案内してもらったこともあり、短い時間で目一杯広島をたのしむことが出来ました。感謝です。愛車を快く出してくれたBenzケビン氏にも感謝!また一緒にいきましょう。宮島は今度ゆっくり家族で行こうかとおもいます。もちろんあなご飯もy食べるぞぉ〜(^^)

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