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MM模型にのめりこむ! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
映画「戦争のはらわた」との出会い なんとも凄い名称の邦題ですが、これはミリタリーマニアなら誰でも知ってる有名なペキンパー監督のバイオレンス戦争映画名なのだ。この映画をビデオに録画して繰り返し繰り返し何度も見たのである。当時はこの映画の持つ反戦思想はまったく僕のような少年には伝わらず、とにかくドイツ軍陣地内での戦いぶりがやけに印象に残ったのである。なぜかロシア兵の帽子がほしいと母親にせがみ、カーキ色の帽子を作ってもらいそれに赤い星をつけてもらった。(今考えたら共産主義者でもなんでもなかったのに・・・) 映画の強烈な影響もあって購入したのがロシア兵セット。しかしこれはないだろー的なセットでちょっとがっくり。マンドリンがついていたからまあ許してやろかという状況だった。T-34はソ連シリーズとして購入したのだが、これは作りながら無骨ながら洗練されているなと感じた戦車だった。組み上げも楽ちんで、大量に買い揃えるのならT-34。クリスティー式の効果を確かめたくて泥の中を走らせてみた。
本来ならドイツ軍とソ連軍の歩兵セットがおなじくらい有ってもよさそうなものなのに当時ロシアの歩兵のセットはこのキットのみであった。仕方ないのでドイツ軍と戦わせるのはアメリカ軍しかいなかったが、これも数が少ないため、仮想敵国を勝手に中国軍にし、(しかもキットがないから想像)、第二次大戦なのに勝手に国連軍(UN)なのだと架空戦記もびっくりなくらいの勝手な解釈で、以後、ロシア兵もアメリカ兵も日本兵もすべて国連軍!にまとめあげたのである。 実は艦艇を作っていたときはこういう考えは浮かばなかったのだ。日本軍の空母と米軍の空母を一緒に並べて仲良くやろうぜだなんてトンデモナイ!てな具合。しかし、予算不足から出た究極の代案だったとはいえ、これは大変な成果であった。すなわち、軍団として考えたときに何が足りないのだろう、何を揃えていけばいいのだろうという発想に自然となってくるわけで、その収集に拍車がかかるのは当然の成り行きである。当時戦車は2号戦車と97式中戦車の2両のみ。いくらなんでもこれでは勝てない(爆) そんなときに書店で手に取ったのが小林源文先生の漫画「PanzerVor」だったのだ。 まさしく本の題名どおりPanzerVor! |
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漫画の影響でさらにのめりこむ! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小林源文先生の漫画といえばやっぱり主役はドイツ軍。しかもドイツ戦車である。物語を読むとやはりそれを模型で再現してみたくなるのはオタク妄想少年にとって大切なこと。最初は3号突撃砲のB型が欲しかったが当時は海外の製品しか無かったため、諦めて4号D型を購入した。増加装甲をつけるかつけまいか迷いに迷ったが結局装着せずにその増加装甲は97式中戦車に付けたりして楽しんでいたのだ。
フンクワーゲンをでたらめに作った反省から今度はきちんと作成しようと購入したのがSd.Kfz.222。珍しく実車どおりに仕上げた数少ない一品。しかしやはり上部の金網が気に入らなくなり、Yシャツの襟についているプラスキック板を切り取ってガラスをはめ込んだ。冷静に考えると実用的ではないかも。 小林源文先生の「装甲擲弾兵」を読んでほしくなるのはやっぱり装甲兵員輸送車と指揮車。ハノマークのハンドルはナナメ上を向いていたので、ほんまかと資料を調べたら本当にナナメ上で驚いた。シュビムワーゲンの人形をドライバーにしようとあれこれ削って押し込もうと思ったが駄目だった。ハノマークを運転できる人は超特殊体型のみなのか?Sd.Kfz.250/3にはご存知砂漠のキツネロンメル将軍が乗っているのだがこのロンメルがまた格好いい。(良く見るとすごい胸囲なのだ!!)砂漠仕様だと妄想が限定されるのでジャーマングレイに塗装し、ロンメルのほかにはドイツ指揮官セットのメモをしている兵隊を乗せたりして我が軍団の指揮をおまかせした。こんなの乗って前線走ってりゃそりゃ戦死するわな・・・。
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マイナー戦車の購入と改造に走る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小林源文先生の漫画「街道上の怪物」に乗っていた「フェルジナンド」が欲しくなって模型屋にいくとイタレリ製のがあったので購入。さらにチェコの38t戦車も欲しくなってこれまたイタレリ?から購入。また今度はT号戦車が欲しくなってイタレリ?から購入と、どんどん海外モノに手を出していった。さらに我が軍には輸送用のトラックが無いなあと探していたら、これまたイタレリで米軍の輸送トラックを発見したので購入。このときはもう小遣いのほとんどすべてをMM模型に投資していた。 こうなるとだんだん自分オリジナルの車両がほしくなってきて改造に走るようになってきた。ただしフルスクラッチする技術も無ければそこまでの気力もないのでため込んだパーツの流用と簡単なプラ板の加工の改造である。 こんなかんじでモデラーが見たら激怒するような妄想の世界にまたのめりこんでいったのである。 |
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要塞構築でさらに妄想加速! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さらにやばかったなあと思うのは田舎だったこともあり、そこそこ広い庭が僕の部屋の前に広がっていたことだ。植え込みの一角を完全に「占領」してその地に要塞を構築することにした。
工事現場から盗んできたコンクリートブロックの破片と背高泡立ち草を茎を乾燥させたものを綺麗に切断して砲台の天井、塹壕の支え柱としたのである。
さらに仏壇で使ったマッチの燃え残りを板として下に敷き詰め、草刈鎌で塹壕を掘り、横穴を掘って退避壕まで作る力の入れぶり。もう妄想大爆発なのである。 さらに機関銃陣地を土嚢を積み上げてつくり、まわりにランナーを伸ばして金色に塗ったものを2mmくらいにはさみで切り、陣地の周りにばら撒くとあらら、まるで薬きょうが散らばっているかのように!妄想爆発!みかんの入っている網も黒く塗ればあーら偽装網に変身!
土嚢セットも無くなってきたので、あとは泥や硬い石を積み上げて陣地を構築。機関砲陣地も作ったが、日本軍風にドラム缶も組み合わせてみる。敵機襲来!撃て!!! そうなると食事を作る施設がいるなと思い、購入したのがフィールドキッチンセット。馬は正直余分だったが結局塗装もせず放置状態に(ごめんね)キットはきちんと鍋の蓋が開く良く出来た作りになっていた。ここにちょうど発売された休息セットを2セット買い込み、情景をばっちり作り上げた。さらに衛生兵もいなくちゃいかんとばかりに英軍のセットを購入し、さらに3人だけでは足りないとばかり、余っていた人形のヘルメットを白で塗り、赤十字のマークをつけて即席衛生兵を何人も作り上げた。
さらに対空砲も必要だと20mm機関砲とネーベルヴェルファー(ロケット砲)を購入し、陣地にすえつけ、さらに移動が楽になるようにと、購入したホルヒタイプ1aの後部に20mm機関砲を搭載して陣地に配備した。兵員の輸送用にとクルップボクサーも購入。もうとまらないこの勢い!
要塞にするのなら砲が足りないとばかりついに88mm砲Flak36/37を購入。移動用のタイヤは面倒くさいし必要ないので組み上げずすぐに実戦に投入。この88mmFlak36/37はきちんと駐退するし、尾栓を開けて付属の88mm砲をいれるときちんと砲が装填され、さらに尾栓が閉鎖されたのには感動した。さすがタミヤ様! これでも砲がたりないので、機動戦士ガンダムのプラモデル「通称ガンプラ」からずいぶんとパーツを流用した。犠牲となったはボールの砲。ちょうど口径が88mm砲に近かったので、大改造して要塞に配置した。砲兵が足りないため砲兵のキットを追加購入し、さらに塹壕で待機する兵隊が足りないので、USコンバットクルーを購入。
庭の一角は草刈ガマでは切れないくらいの量の草が生えていたのでこれはジャングルだ!とばかり、映画「プラトーン」の影響も受けていたこともあってベトナム時代の米軍や近代の米軍車両を購入して配置した。さらに要塞には迫撃砲がいるだろうと米軍の迫撃砲セットを2セット購入して追加配備した。もうこうなると頭の中は我が軍に足りないものはないか、という発想のみ。妄想はふくらみに膨らんでいったのである。
要塞構築に邁進している僕にひさしぶりに嬉しい情報が入った。個数限定で97式中戦車改とT-34/85が発売されるというのだ。発売日を心待ちにしてついに2つとも購入したのである。ちょうどタミヤもMM模型も息を吹き返してきたかなと思えるような時代、まさに再生の始まりだったのだ。だが、運命は残酷。僕にMM模型再会の日を与えてはくれなかったのである。高校受験に続き、大学受験にも失敗し、予備校に通うことになったからだ。
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